2016年10月19日~25日、小笠原・父島(2/2)
小笠原旅行つづき.
森林散策
三日目の午前,ツアーで父島の植生などを見て歩いた. コペペ海岸で孤島である父島に動植物が移動する方法や,海岸での植生について説明を聞く. 孤島への動植物の伝播は主に「鳥が運ぶ」「風が運ぶ」「流木が運ぶ」の3つだそうだが,いずれにせよ太洋を超えてきており,想像さえできない.
岩山と呼ばれている山に登る. ゴツゴツした地肌に,へばりつくように植物が茂っている. 父島の大部分は火山性の土壌で気候も乾燥しており,植物は低く小さくなることで環境に適応した. これを乾性低木林という.
別の遊歩道で,高くうっそうと繁った湿性高木林を見る. 湿性高木林は母島に多い森林の種別だが,父島の一部でも見ることができる.
奥にガジュマルがある. おそらく戦前,日本人の植民前後に持ち込まれたもので,いまや縱橫に枝を伸ばし,異様でさえある. 島の子供はガジュマルをアスレチックのようにして遊ぶらしい.
戦跡
午後は戦跡巡りをした. 第二次世界大戦において,父島は本土と南方戦線の通信を中継する重要な拠点であり,日本軍によって全域が要塞化された. 通信所付属の発電施設跡には,当時ミサイルで爆撃された跡が残っている.
特に要塞化が激しい夜明山に入る. いたる所に戦時中の遺物がある. トロッコ,土嚢,茶碗,ビール瓶,トイレ,竃など. 瓶には「大日本麦酒」と書かれているものがあり,この企業は戦後にサッポロビールとアサヒビールになったそうだ. キッコーマンのシンボルが描かれた陶器もあった.
たくさんの坑道が掘られており,中を通って山中を縱橫に移動できる. 内部は気温は高くないものの,湿気が高く風が無いため,不快で息苦しい.
円形陣地と呼ばれる施設の遺構がある. 周辺の石部屋に兵士が詰め,中央に高射砲を設置して飛行機と戦ったそうだ. 二畳程度の空間に兵士が10人から詰めていたとのこと.
境浦を一望できるところへ. ここにも坑道があり,港湾を狙うように高射砲が設置してある. 戦後,父島は米軍の占領下にあったが,この高射砲は発見されず,近年に至るまでそのままの状態で保存されていたらしい.
最終日
父島滞在最終日,曇天,強い風. 大村地区の周辺を歩く.
小笠原水産センターにはいくつかの水槽が展示されており,無料で観ることができる. 室外の飼育池ではアカバと呼ばれる小さな魚に歯磨きできる. はずだったが,時期の問題なのか,訪問時にはアカバは不在だった.
製氷海岸近くの小笠原海産センター. 多数のウミガメが飼育されており,餌をあげることができる. ウミガメは非常に頭がよく,餌をねだってヒレを叩いたりする. とてもかわいい.
海ではカイトサーフィンをしている人をみかけた. 天気が荒れている日なりの楽しみ方があるのだ.
大村海岸に行くと,かなり波も激しくなっている. 海の色が前日までとは変わって濃く明るい緑色をしており,違った美しさがある.
復路
帰りの航路では船体の揺れはいっそう強く,立って歩くのもままならないほどだった. とはいえ,酔い止めを飲んで横になって本を読んでいれば,そのうち竹芝に着く.
感慨深い旅行だった. 期待通りの美しい自然があったが,それは人の暮らしのとても身近に,気安く存在していた. 父島は歴史と人の島でもあった.